2011年 09月 14日
石 原 美 術 の 概 要
1973年2月24日 岐阜町発祥の地「米屋町」にて石原サヱ子により創業。
当時、眠っていた洋館(大正初期:佐藤信次郎設計・旧 汽船本店)を画廊として再生。
洋画、日本画、陶芸、墨蹟などを扱う画廊として開廊(画廊石原
)加藤唐九郎、熊谷守一、坂井範一等の助力をいただき、
展覧会活動を通じ「優雅な暮らしのお手伝い」をモットーに展覧会活動。
1983年 (有)石原美術と改称。
以後、美術品の販売の他、
空間と時間の演出の為、プロデュース業と
建築のお手伝いもさせていただくようになりました。
1997、1998年には、
狂言師 野村万之丞氏の協力により「水と炎の大田楽」(岐阜県・岐阜市)
1998年、「落語狂言」(野村万之丞・三遊亭円窓出演)を岐阜市で自主公演(岐阜万之丞の会)
1999年には、
第14回国民文化祭ぎふの総合プロデュース室を拝命し、前夜祭、開会式、パレード、
閉会式のほか、道楽隊という芸能集団を養成する事業も担当させていただき、
以来、
美術品以外の芸術分野や日本人は何処から来て何処へ向かうのか?
なども勉強をさせていただくようになりました。
2003年10月、加納天満宮本殿竣工に際し、
「天神まつり」を総合プロデュース。
菅原道真公を偲ぶ1100年前の田楽舞踏を創作し、
更に60年振りに鞍馬山車の人形からくりを復活させ、
約10000人の参加者を動員しました。
2004年10月、第2回天神まつり(加納天満宮)を総合プロデュース。
同年11月、「親方会議in高山」(岐阜県)を総合プロデュース。
2006年8月10日、
響きあう金華山と長良川「極上の舟遊び」(長良川鵜飼船上)
8月11日、「稀人たちへの鎮魂歌」(岐阜護国神社)を総合プロデュース。
※屋号は加藤唐九郎氏の揮毫によるものです

当時、眠っていた洋館(大正初期:佐藤信次郎設計・旧 汽船本店)を画廊として再生。
洋画、日本画、陶芸、墨蹟などを扱う画廊として開廊(画廊石原
)加藤唐九郎、熊谷守一、坂井範一等の助力をいただき、
展覧会活動を通じ「優雅な暮らしのお手伝い」をモットーに展覧会活動。
1983年 (有)石原美術と改称。
以後、美術品の販売の他、
空間と時間の演出の為、プロデュース業と
建築のお手伝いもさせていただくようになりました。
1997、1998年には、
狂言師 野村万之丞氏の協力により「水と炎の大田楽」(岐阜県・岐阜市)
1998年、「落語狂言」(野村万之丞・三遊亭円窓出演)を岐阜市で自主公演(岐阜万之丞の会)
1999年には、
第14回国民文化祭ぎふの総合プロデュース室を拝命し、前夜祭、開会式、パレード、
閉会式のほか、道楽隊という芸能集団を養成する事業も担当させていただき、
以来、
美術品以外の芸術分野や日本人は何処から来て何処へ向かうのか?
なども勉強をさせていただくようになりました。
2003年10月、加納天満宮本殿竣工に際し、
「天神まつり」を総合プロデュース。
菅原道真公を偲ぶ1100年前の田楽舞踏を創作し、
更に60年振りに鞍馬山車の人形からくりを復活させ、
約10000人の参加者を動員しました。
2004年10月、第2回天神まつり(加納天満宮)を総合プロデュース。
同年11月、「親方会議in高山」(岐阜県)を総合プロデュース。
2006年8月10日、
響きあう金華山と長良川「極上の舟遊び」(長良川鵜飼船上)
8月11日、「稀人たちへの鎮魂歌」(岐阜護国神社)を総合プロデュース。
※屋号は加藤唐九郎氏の揮毫によるものです

by gachako1121
| 2011-09-14 22:34
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